ポタポタ時々記

自転車を中心とするスロー・ライフや時々の買い物記録などです。

いろいろな人がいる  


 時々、こんなことも書いてみたくなる。まあ70年も生きているんだからご勘弁を。
#せっかく時間がとれるようになったというのに雨続きの天気で、やや暇をもてあましているせいでしょう。

 人は、持って生まれた資質、性格のようなものをベースにし、それに育った環境、生きてきた環境に影響されて人格がつくられていく。
 こんなことは誰でもわかっていることだが、実は、自分が育った視線環境や身近な環境についてはそれを自覚していても、大きな社会的環境、例えば新聞・TVから入ってくる情報にどれだけ自分が影響されているかについては自覚していない人が多いと思う。

 小さい頃は、生きて行くための基礎的なことを「学習」していくことが期待されているが、「生長」するにしたがって期待される役割が異なってくる。
 社会人になって最初は、会社に馴染むこと、そこで与えられた仕事ができることが期待されるだろうが、配下を持つにしたがってそれぞれの部署の運営について役割を果たしていくことが期待され、さらには、組織そのものの運営を期待されるようになる。だから「自分はこんなに仕事ができる筈なのになぜちゃんと評価されないのか?」と思ってみても、それは期待されいてる役割をわかっての上での話しなのだ。あるいは選んだ職種によっては、技術を進化させていくことが求められていたり、(営業などはまさにそうだが)対外的な交渉ごとが求められていたりする。しかも、一つだけが求められるのではなく、年齢や役職などに応じてその役割が違っていくのだ。大企業であることや中小企業であることによっても違ってくるだろう。
 大げさに言えば、そういうことを理解して自分の生き方を見つけ出していくことが「成長」するということだと思う。
 基本的には、人々は頭ではそうした会社や仕事内容の違いや段階による求められるものの違いを理解しているのだろうが、往々にしてそれを理解せず、自分の尺度を中心にものごとを考える人もいる。恐らくそういう人は、自分を不幸な人間だとの考えに陥りやすいことになるだろう。
 大切なのはその社会での自分の位置を理解できているかどうか、そのための想像力をいかに働かせられるか?ということでもあると思う。そのためには、自分の回りで起きていることに注意を払っていくことが必要なんだと思う。

 例えば仕事の場面で…。
 人それぞれの経験や仕事の仕方が異なるが、それぞれの範囲で自分の能力を生かしながらやっているものだとつくづく思う。
 私は技術者だったから、仕事ができるということが最大の価値だったが、大抵の会社特に大会社であればあるほど仕事ができることより、組織の一員としてうまくやっていくことが求められることなろう。出世する人の多くはそれがうまくできる人でもある。
 かっては仕事もできず要領のいいだけの人間に対しては嫌悪感を感じたものだが、見方を変えれば彼は彼なりに自分の持ち味を精一杯生かしているのだ。そう考えれば腹も立てずに済む(笑)。そんな風に考えるようになったのは、天下り会社と仕事をしていた頃のこと。損保会社から出向していたある社員。もちろん各別仕事ができるわけではないが、クライアントなどととても良い関係をつくり、それに関わる人々を含めてとても楽しい仕事にしているのだった。これも彼の持ち味を最大限生かしているのだと思った次第。そういう仕事のやり方もあるのだと思ったものだ。
 逆に、ある若者に指示した仕事がとんでもない成果になった。その若者の能力を知らずに指示した私も悪いが、指示された若者が「指示の仕方が悪い」と言っていたというのを聞いて悲しくなった。彼が自分の無知を謙虚に受け取め学ぶ姿勢があればそういう言葉にはならなかったろう。どうも、無知無能で(と言っては言い過ぎだが)身勝手な傾向のある人ほど、自分に非があるとは考えられないようだ。この時、多くの人は自分の経験、能力の範囲内でしか考えられないものだと知った。
 自分だって恐らくそうだろう。だからこそ他者の経験から学ぶことが重要なのだと思う。

 リタイヤ後は、異なった社会経験を経た人々とつき合うことになる。日頃は当たり障りのないつき合いだからそういうことを考えることはないが、時折変わった人に出会う。
 すでに会社を離れているはずなのに、元の会社名やそこでのかっての部署を持ち出したりして偉そうにする人。余程会社が大事な人間だったんだろう。
 そのような人は論外であるが、礼儀に対する考え方、他者の異なる意見に対する対応の仕方などにふと現れることがある。
 「無礼だ!」と決めつけてみたり、自分の考えが絶対的に正しいと思っているのだろう「相手の言い分を聞こうともせず」言下に否定したりする人などである。
 その人が生きてきた社会ではそれが正しかったのかもしれない。それで通用していたのだろう。しかし、一般社会に出れば、他者の価値を認められない人というに過ぎない。
 FBなどを見ていると度々見受けられるタイプである。しかも、物事をあまり深く考えていないと思われる人々に多いタイプでもある。

 70年も生きていればいろいろな人間を見て来た。本当のところはじっくりつき合わないと人間など理解できないものだが、その人の態度から、あるいはちょっと話すことができれば大まかな人物像を判断することができるようになってはいると思う。政治家やマスコミ報道のウソやいかがわしさについてだって同じことである。その背景を知ってくればなおさらである。
 数十年も生きていれば誰でもそうだろうと思いたいのだが…今のこの国の状況を見ていると、残念ながらそうでもなさそうだと思うのだ。

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 今回の選挙だって、マスコミは3極と言うが実はそうではない。「戦争か平和か」、「アメリカの植民地か日本の民主主義か」を選択する2極の闘いである。私が度々このブログで日本はアメリカの植民地だと言っている意味を理解している人がどれほどいるだろうか?アメリカの影響を受けていることはわかっていても、例えれば箸の上げ下ろしまでアメリカの指図に従っているのだと考える人は少ないだろう。
 別に私の考えを押しつけるつもりはないが、今回の選挙は今までにない重要な選挙である。選挙の争点をアベノミクスや消費税問題、教育の無償化などと大声で言っているが、これまで政権が実際に進めてきた政策をよく見て欲しい。また、与党票はカルト宗教や既得権益に結びついた組織票であったり、野党勢力を削ぐために結成され政党の票であったりすることも良く見て欲しい。

 それらに対して国民の意思をきちんと政治に反映していくためには、選挙に行かない多くの人々が改めて現実を良く知り投票所に向かうしかない。
 そして是非「平和」と「民主主義」のための投票をして欲しい。心からそう願っている。
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iPad思案中(その2)  


 iPadをどうしようか考えていたらこんなもの「Bose SoundLink Revolve Bluetooth speaker」を見つけてしまった。Bluetooth接続の無線スピーカーである。
 Youtubeの音楽を教室のBGMにしてみたらどうだろうという発想だったのだが、そうなると通信制限が邪魔になる。
 試しにYoutubeの音楽をMP3に変換してみたが全く音質が違ってしまう。

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 これを使うとなると、iPadの条件は全く異なってしまう。
 むしろiPhoneの方がそれにふさわしい。

 う~ん。 迷うなぁ。
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新たなイス(というより背もたれ)の発想  


 私の考えるキャンプはあくまでもロースタイル。
#それは主要な足として自転車を考えているからだが…。
 そして、ロースタイルには背もたれのようなものがないと腰が辛くなることは経験済みである。

 今のところ、その役割を担うものとして「クレイジークリー​ク・ヘックス2.0 オリジナルチェア」を考えていた。これを、可能ならマットとしても併用できないか?と思っていたのだ。まあこれを全面的にマット代わりにするのは辛いだろうが、補助的なマットとして…ということは十分可能だろう。

 ところが、続けざまに見た2本の動画で考え方が変わりつつある。

 一つは「ウルトラライトチェア(なんと75g) Litesmith QwikBack Ultralight Chair」。この発想は衝撃的だった。「支柱式」とでも呼んでみようか?
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 たまたま、私の手許には、少し前に捨てたニーチェア(当時は1.3万円くらいだったから随分値上がりしている)のキャンバス地だけがあったので、これにトレッキングポールを組み合わせてみた。これだけでも十分行けそうだと思えた。
 しかし、キャンバス地の重量を量ったら何と565g。このままではあまり意味がない(笑)。ただ。この形式のイスも十分あり得ると思った。今のままで作ろうと思えばキャンバス地をカットしても良い(半分にカットしても十分使える)がちょっともったいないかな(笑)。
 でもこれなら、適当なポールさえあれば十分自作可能である。

 もう一つはこちら「The best ultralight camp chairs(6:00頃~)で見たもの。この発想も魅力的である。「ロープ式」とでも呼んでみよう。
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 早速、一つ大きなリングを作って、左の肩にかけたバッグのヒモを右足に掛けるような形で背中を支えてみた。これはちょっと窮屈だし、片方だけでは後ろへの力を支えるのにはちょっと辛い。
 それではと、日常使用のリュックにもう一つリングを加えて、両膝で自分の背中を支える方法を考えてみた。この方法では(前者で可能だった)後ろへ倒れようとする力を支えることはできないが、ヒザの力である程度の後傾しようとする力を抑えることはできそうだ。
 私が考えるには、背中を支える構造をきちんと考えておいた方が良いように思う。私だったら背中部分に小さな布をあて、肩の上下から支える方法にするだろう。

 とちらも面白そうだが、まずは「支柱式」の方が簡単で効果的なイスができそうだ。
 重くとも300g以内にはしたいものだ。

 …なんて書いているが、本当につくるかどうかはかなり怪しい(笑)。
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橋下の私物化?  


 MRI 検査を受けてきた。20分ほどだが、身体を動かさずにいる事ってのはやっぱり辛いものだ。

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 帰ってきて一眠りした後、ネットでこんなページ「橋の下の「スキマ」をオフィスにしちゃった男」を見つけた。
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 私としてもこういうやり方を広めたい訳じゃない。ただ、少しくらい目を瞑って上げても良いじゃないか?という程度の気持ち。いずれ行政に撤去されることになるのだろうが、基本的には誰にも迷惑をかけているわけじゃないし、こういう発想は大好きである。
 日本で同じことをやったら、たいそうな犯罪を発見したかのような正義面した住民のご注進で、こういう仕事には熱心な行政が撤去に来るのだろうか(皮肉)?


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被災者の試み!!朝倉豪雨災害の流木をウッドキャンドルに  


 朝はTV朝日「羽鳥慎一モーニングショー」で時間を過ごすことが多い。
 今朝は「被災者の試み!!朝倉豪雨災害の流木をウッドキャンドルに」の紹介があった。

 Youtubeでも時々やっているのを見たことがある。スウェーデントーチとも言うらしい。
 いつかはやってみたいと思っていたことだったが、こんなことが被災地の復興に役立つのなら…と思う。とても素晴らしいアイデアだと思う。
 いくら流木でも生木だから向かないのではないかと思っていたが、11月からの出荷らしい。丁度良いかな。

 当初50万円が目標だったらしいが1日で目標額に達してしまったらしい。
 反応は上々らしいが、少しでもこんな情報が拡散すれば良いと思って…。
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